見える体だけが、
私たちのすべてではない。
なぜ満たされているはずなのに虚しさを感じるのか。その問いをたどると、聖書が語る「人間」の姿が見えてきます。体、心、霊。この三つを一緒に見る時、本当の自分を育てる道が開かれていきます。
見える命
考えと感情
神様と通じる本質
人間は、
何でできているのか
聖書には、人間についてとても大切な一節があります。
「あなたがたの霊と心と体とを完全に守ってくださいますように。」
第一テサロニケの信徒への手紙5章23節
この御言葉を見ると、人間には「霊」と「心」と「体」があることが分かります。
私たちは普段、自分の体を見て「これが自分だ」と思います。けれども聖書は、人間を体だけの存在としては見ません。人には、考え、感じ、選ぶ心があります。そしてさらに深いところに、神様と通じる霊があります。
体は、
万物とつながっている
肉体は、万物の一部です。水を飲み、空気を吸い、食べ物を食べて生きています。自然の循環の中に置かれていて、地上のものと深くつながっています。
だから肉体には、肉体の性質があります。お腹がすく。眠くなる。疲れる。健康を保とうとする。そうした欲求は、肉体に備わった自然な働きです。
「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている。」
ヘブライ人への手紙9章27節
肉体はいつか死にます。土に帰り、万物へ帰っていきます。だから、肉体は大切ですが、永遠ではありません。
心は、考えと感情を
形づくる
心には、考え、感情、精神、判断があります。人は心によって、何を大切にするか、どう生きるかを選びます。
けれども、人間は心だけで説明できる存在でもありません。もし人間が肉体と心だけの存在なら、ただ強いものが生き残ればよいという世界になってしまうかもしれません。
しかし人は、弱い人を助けたいと思います。平和をつくりたいと願います。それは、人間の中に霊の性質があるからです。
人間の本質は、
霊にある
聖書は、人間の奥深いところに霊があると教えます。
「人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。」
コリントの信徒への手紙一2章11節
人の本当の思い、本質的な部分は、霊のところにあります。
自分の価値が分からない時、人は苦しくなります。何かを成し遂げても、ふと虚しくなることがあります。その虚しさは、単なる気分ではありません。霊が、神様の御言葉を求めているしるしでもあります。
上のものが、
下のものを治める
人間が正常に生きるためには、秩序が必要です。
肉体が心を振り回すと、人は欲に流されてしまいます。心が不安や怒りに支配されると、肉体も生活も崩れていきます。
では、心を治めるものは何でしょうか。それが霊です。霊が神様と正しくつながり、御言葉を受け、神様の願いを分かるようになる時、心を治める力が生まれます。
霊にも、
食べ物がある
では、霊はどうすれば成長するのでしょうか。イエス様は言われました。
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」
マタイによる福音書4章4節
肉体は、食べ物を食べ、動くことで成長します。同じように霊は、御言葉を聞き、その御言葉を実践することで成長します。ただ聞くだけではなく、肉体を使って行う時、心も変わり、霊も作られていきます。
覚えておきたい、
四つのこと
地上の人生は、
霊を育てる時間
木につながっている実は成長できます。しかし木から離れた実は、それ以上成長できません。
肉体を持って生きるこの時間は、霊を育てるための時間です。肉体と霊が結びついている間に、御言葉を聞き、行い、霊を成長させ、熟させていく必要があります。
聖書が教える「人間について」の話は、遠い教理ではありません。本当の自分を知り、本当の自分を育てていくための、人生の地図なのです。
霊が成長した人は、
地上でも必要とされる
霊を大切にすることは、地上の生活を捨てることではありません。むしろ、霊が成長した人は、地上でも必要とされる人になります。
愛があり、真理があり、平和をつくり、義を行い、知恵を持ち、自分の個性を生かし、人の個性も生かせる人。そういう人は、どこにいても必要とされます。